20100128

今日は研究室の仲間と総勢6人で川崎のIMAXシアターまで、AVATARを観に行った。以下、ネタバレを含みます…

正直、3Dで長時間映画を観ていると、「酔う」。酔いそうになる。ストーリーは、trailerを観ればそれで追えてしまいそうな感じ。実際、trailer以上に深みはなかったような気がします。ハリウッド版もののけ姫というか、ナウシカというか、ラピュタというか…。ひっくるめて言えば、ハリウッド版ジブリ(?)のような感じでした。

Wireless BMIという考え方はかなり面白いけれど。でも、パンドラの生物種はなぜみなあのフサフサを持っているのだろう。どんだけ共進化してるんだ?w

それから、背景にもっとデカい惑星があったから、きっとパンドラは衛星なんじゃないかなという気がするんだけど、あれだけ空にデカい惑星が浮かんでいたら、ロシュ限界を超えて、粉々になってしまいそうなものだが…。ま、それはいいか。

純粋に、表現を楽しめました。CGで影を書き込む人だけで何十人といたのにビックリ。欲を言えば、音楽がパッとしなかったのが残念。

異文化との接触(コミュニケーション)の場合、自分が全く変わらず、相手だけが変わる(態度変容)という想定はまず無理だと言うことを改めて気づかされた。おそらく、情報のレベル、態度のレベル、決定のレベルという3つのレベルがこの映画では描かれていたけれど、情報のレベルでは相互にやりとりがあるが、態度のレベルでは人間側が(とは言っても一部の例外があって、それによって物語が進むわけだけど)固定されていて、ナヴィだけに態度変容が求められている。決定のレベルではもっと極端である。情報を共有すればそれで事足りるわけではない。同じことがらについて語っていても、表面上は同じ言葉を用いていても、そこにこめられる意味や見方(フレーミング)は異なっているかもしれない。そうしたところまで、確認しながらコミュニケーションを進めていくことの重要さを、そしてそうしたところまで確認しなくても進んでいく円滑なコミュニケーションというものにいかに麻痺しているかを感じさせられた。