STSにおける「科学/社会」の解像度の低さ、曖昧さ

日本のSTSの興隆と「社会」概念の変容の蜜月を、正面切って断言した論考と言えば、

概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学

概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学

の中村論文。まぁ、至極もっともだと思う。

科学技術が社会に与える影響、あるいは社会から科学技術が受ける影響と言ったところで、やっぱり「科学」とか「社会」はぼやけたまま。セクターモデルや、トリプルヘリックス論もあるけど、それでもセクター間の影響関係がなぜ・どのように発生しているのかが、なんとなくボンヤリしている。

テクノサイエンス・リスクと社会学―科学社会学の新たな展開

テクノサイエンス・リスクと社会学―科学社会学の新たな展開

いきなり「社会」などを扱うと骨が折れるどころか複雑骨折してしまうだろうから、「政治」「法」「行政*1」あたりのシステムと「科学」システムとの関係でもって(もちろんそれらすべてを包摂し、かつ、それらすべての環境として「社会」システムを念頭に置きつつ)、最終的には、STSの「科学/社会」の解像度の低さ、曖昧さを克服できないかなぁ。

*1:ルーマン自身は行政システムなどとは言ってないのだが…